子子子子子子(ねこのここねこ)はてブロ部

Macネタが主のIT記事と、興味ある展覧会リストや観覧感想などを書いてますよ。自転車ロードレースも好き。

大琳派展@東博

(実はもう一週間も前の観覧なので記憶が薄くなっている)

午前に西洋美でハンマースホイ展を観覧し、西洋美のレストラン「すいれん」にてオムライスを頂き、西洋美のショップで美術書を物色していると、いつの間にか14時過ぎ。
14時には東博へ入りたいと思っていたのだが、平成館の前には、20分待ちの長い行列が。

↑この写真では列も残りわずかですが。
何とか14時半までには入れた。だが館内は人だらけ。先が思いやられる…。
私は、実のところ、自分の中で日本文化を消化し切れていない。最近になってようやく狩野派や円山派が掴めてきたところである。なので今回なんとか琳派を掴みたいな、と思って観覧した。

光悦・宗達

まずは江戸時代初期の本阿弥光悦俵屋宗達
書に優れ、そして超一級のデザインプロデューサーである光悦と、超一級の技量を有する画家でありデザイナーである宗達。この二人が同時期に、しかも戦乱が一息ついた京に居たのは、京都の公家方・旦那衆には幸せな事だったのでしょう。もちろん金に糸目をつけないパトロンがたくさん居たことで、光悦らにも幸せがあったのだけど。
さて、彼らの作品の中で一番気に入ったのは、光悦筆の「月に兔図扇面」。荏原製作所の創業者である畠山一清のコレクションを元にする畠山記念館の所蔵。

書もさることながら、鮮やかな緑青と金箔の月との鋭いバランス感覚。このデザインは格好いい。超一級です。
そしてやはり光悦筆・宗達下絵の「鶴下絵三十六歌仙和歌巻」。ちなみに↑のページでは、この巻物を実際にスクロールして観ることが出来る(ただしQuickTimeが必要)。巻物は本来、一画面ずつだんだんと観ていくものだから、とても良い表示だと思う。
それはさておき、この絵巻。書もすごい(と言ってもあまり分かっていないorz)のだが、それよりも下絵の宗達のデザインの良さ。波頭を越えて群れで飛ぶ鶴の密集度。その動きの伸びやかさ。対岸からの別の群れの動き。とても美しい。
もちろんその他にも「舟橋蒔絵硯箱」とか「月に秋草図屏風」とか、一級品だらけで困ってしまうのだが、ひとまずここまでで分かったのは、琳派とはデザイン集団である、という当然のこと。オリジナルを重んじる絵画・美術として観るのも楽しいが、やはりデザイン=意匠を楽しむのが良いのだ、ということだった。

光琳・乾山

次は「琳派」に名を残す、中心人物の尾形光琳を含む尾形兄弟。光悦・宗達の時代から一世紀が過ぎている。五歳違いの次男三男であるこの兄弟、呉服商の家に生まれて莫大な遺産を継いだ。しかし兄の光琳は作品からも分かるとおりの派手好きで、経済的に行き詰まり、漆工・絵画制作で生計を立てることになった、のだそうな(図録から引用)。
やはり光琳といえば「八橋蒔絵螺鈿硯箱」を忘れてはいけない。

残念ながら四方八方から観れる画像がなかったのだが、正面以外の側面は燕子花(かきつばた)の葉が当然上方を向いており、蓋の葉の向きと相反している。しかし、そうであっても何故だか違和感なく破綻せず意匠が成立している。鉛の象嵌で作られた八つ橋の浮き出しかた、特に板の重なりの部分などが美しい。実際の橋を見ているかのように。
そう、そういえば、この頃の意匠として取り上げる題材には、源氏物語より伊勢物語が多いのですよね。第九段の三河八橋の段を引用。

三河の国、八橋といふ所にいたりぬ。そこを八橋といひけるは、水ゆく河の蜘蛛手なれば、橋を八つわたせるによりてなむ、八橋といひける。その沢のほとりの木のかげに下りゐて、乾飯食ひけり。その沢にかきつばたいとおもしろく咲きたり。それを見て、ある人のいはく、「かきつばたといふ五文字を句の上にすへて、旅の心をよめ」といひければ、よめる。
 唐衣 きつゝなれにし つましあれば はるばるきぬる 旅をしぞ思
とよめりければ、皆人、乾飯のうへに涙落してほとびにけり。
http://homepage2.nifty.com/toka3aki/ise/ise_b.html

光琳意匠としては流水や梅やいろいろなものがあるのだけど、千鳥も忘れてはいけない。そしてこの猫波。「武蔵野隅田川図乱箱」(大和文化館蔵)である。

見えづらいのだが、この千鳥の細長い脚が可愛らしい。それにしてもどうすれば鳥がこんなに丸っこくなるのだろうか…。

一方、乾山では「色絵定家詠十二ヶ月和歌花鳥図角皿」も良いのだけど、こちらの「色絵竜田川文向付」(これも大和文化館蔵)の組み合わせの美しさを重んじたい。

この画像では残念ながら一つだけ裏返っているが…。
これの写し、欲しいですなぁ…。

光琳意匠と光琳顕彰

この後、光琳が生み出した意匠が小袖やら蒔絵やらいろいろなところに波及していく。もうこうなるとデザインを再利用していく、という状況になり、光琳自身の生き生きとした筆致は望めなくなる。まぁ「写し」というのはオリジナルを超えられないので仕方ないのだけど。
デザインを楽しむ、と言いながら、オリジナルの伸びやかさを望んでしまうのは、なんだか不一致のような気もしますが…。

抱一・其一

鈴木其一を「そいつ」と読んでしまう馬鹿者がここにいますorz。
なお、昭和47年の東博の琳派展では、其一はさほど重視されていない。其一を除く5人とそのグループを琳派としている。
だが今回、抱一よりも其一に惹かれた。
抱一はやはり、お殿様的傲慢さで周囲を振り回し、光琳の写しを描いても、よく言えば闊達、悪く言えば荒っぽい、そんな筆致で描いている印象を受けた。一方、抱一の元で振り回された其一は、抱一の死後に伸び伸びとした描き方に変わっていったように感じた。
其一>>抱一
ということで。(いや個人的な趣味なので抱一好きの方ごめんなさい。)
そうそう、最後に抱一下絵で原羊遊斎作の印籠が展示されてました。これらがお気に入りの方はぜひとも大阪市立美術館のカザールコレクションを強くオススメします。羊遊斎の印籠がいっぱいあるので。常設で出てると思いますよ。

風神雷神図

すべて観切るともう閉館時刻の18時。ひとまず図録を購入。分厚い…が図も文も充実しているので仕方ない。
で、今回の目玉を最後に。
ちょうど四つの風神雷神図が同時に出展されている時期に行ったので、その辺りは大混雑。しかし、屏風は近くよりも全体を見るもの。閉館直前に再度そのコーナーへ行ってみた。やはり同じ事を考えている人が居たが、さほど多いわけではない。

比較して観るものでもないのだが、やはりこう並べられていると比べてしまう。
やはりオリジナルである宗達のものが最も優れている、と感じる。屏風の外への気配がとても強い。この作品だけが屏風の中に押さえ込まれていない。他の作品は残念ながら屏風の中で調和してしまっている。
だが、模写である他の作品を観ると、今の宗達のものと違う色で描いてある。ということは、彼らが観た当時はこれほど鮮やかに見えたのだろう。今では銀泥が黒変し、枯れた色になっている宗達の風神雷神だが、鮮やかな色であればさらに衝撃的な図像に見えたのだろうな。

長文雑文失礼m(_ _)m。読んで下さった方、ありがとうございます。



追記:光琳といえば最重要作品がコレですが「毎年二月展示」なのですね。寒い時期に…。