京都市美術館学芸課長の尾崎眞人氏によるギャラリートークのメモ。
(予備知識が足りなかったため、さすがに全てはメモできてません。no付きは出品作について。図はそのうち入れる…かも)
渡欧
京都洋画壇
美術史を学ぶために渡欧。スペイン王がバロック・ヴェネツィア派(例:ティントレット)を擁護。他の画家と異なり古典を学ぶ。印象派の色の並列法ではなく、それ以前の重層法を学ぶ。
模写による学習。テンペラ下地が乾くのに数日かかるため、その待ち期間を使って近辺へ小旅行。スペインの街の構造(城塞都市)やスペイン風景を知る。
no.25 発掘
大学の美学の恩師の深田康算が(1928年/昭和3年に)亡くなったので肖像画を描き、その次に描いた作品。帝展へ初めて応募した(落選)。画家としてやっていくきっかけとしての応募。
下図では馬の脚元に発掘土砂を運ぶ二人を描いているが本画には無い。脚元の二人を描くと、前景の馬との落差が強調されるが、後景の奥行が弱められる。のでカット。前景をシルエットとすることで、後景が重要だと示す。印象派のように全てを描くのではなく、大事なものが目立つように描く。前景と後景との関係から新たなドラマを生み出す。すなわち『絵空事』
個展
初個展を銀座資生堂ギャラリーで行った。しかし京都ではなく東京なので、知らない画家の作品だとして受け入れられず。しかし独立美術協会の里見勝蔵が絶賛、協会員を連れていくとともに、国太郎を協会へ引き入れる。
昭和8年、独立美術京都研究所の講師になる。この研究所は津田青楓(プロレタリア画家)の画家活動停止により彼の画塾に所属の画家たちの行き先として設けられた。
山
山を沢山描いた。山はその原形が分かる冬に描いた。
no.75 海亀
動物園で狭い場所に押し込められている海亀をみてかわいそうになり描いた。
no.88 犬
犬と家。別の場所にあったものを組み合わせて物語を作る。
no.72 鉱山
病床で描いた。後景の山の輝きと、前景の人の眠る住宅地の暗闇との対比