京大総合博物館で2/5まで「ジョルジョ・ヴァザーリのウフィツィ:建築とその表現」展が行われています。
特別展「ジョルジョ・ヴァザーリのウフィツィ:建築とその表現」 ― 京都大学総合博物館
2/3午後に、特別客向けに行われたギャラリートークの場に立ち会ったので、そこでのお話しのメモを箇条書きしておきます。
ただし、私の理解不足もあるので、誤りがかなり含まれている可能性があります。ご注意ください。
ギャラリートーク担当者:古川氏と小松氏
古川氏:
- ヴァザーリはよいタイミングで生まれた。
- 舞台は(名ばかりの)共和制のフィレンツェ
- 共和制なので市民(といっても納税者且つ男性)が主役
- しかしそのころ資産家のメディチ家の支配が進んでいた
- メディチ家、そのころはコジモ一世
- ヴァザーリには<共和派の排除・メディチ派の賞揚>を重要なミッションとして与えられた
- そのミッション遂行方法は(1)芸術家列伝(2)アカデミア・デル・ディセーニョ創設(3)建築
(1)芸術家列伝
(2)アカデミア・デル・ディセーニョ(素描学院)
- 職人教育はギルドで、親方から弟子へと受け継がれた
- 素描に基づく<絵画・彫刻・建築>は(職人技ではなく)、ギルドではなくアカデミアで教育を受ける
- サンルーカ礼拝堂(聖母子像を初めて描いた聖ルカを祀る、聖ルカは画家の守護聖人)の聖ルカ肖像画をヴァザーリが(実は自画像として)描く
(3)建築(本展覧会のテーマ)
◎パラッツォ・ヴェッキオ(ヴェッキオ宮)の改修
- 「ヴェッキオ」とは「old 古い」の意(ポンテ・ヴェッキオは「古い橋」)
- ヴェッキオ宮は13世紀着工、14世紀に完成、市庁舎として使われた
- ヴェッキオ宮の建物と塔の比率は1:1、塔上部と塔下部とは1:2、建物の上部と下部とは1:2
- ヴェッキオ宮の前の広場の角からヴェッキオ宮の塔を望むと上方45度の方向、角は90度、角度の調和(三位一体)
- 市庁舎は共和制の象徴、市民たちが住んでいた
- メディチ家の支配に替わり、コジモ一世が住むようになった
- 共和制の象徴であるヴェッキオ宮に住むことで君主としての印象を植え付ける
- 住みやすく、またコジモ一世の賞揚のため、ヴァザーリに改装が命じられる
- 500人広間の改装(天井中心にコジモ一世の肖像、周囲にトスカーナの町々の擬人化を描く)(天井高を上げる)(左右の壁面にはレオナルドとミケランジェロの未完の絵画があったが、その上からピサ戦争の図・シエナ戦争の図を描いた)
- ピサ戦争の図・シエナ戦争の図:一方が共和制の頃に長期戦になった戦い、他方がメディチ家による君主制の頃に短期戦になった戦い
- 500人広間の絵画でもメディチ家の賞揚を実施
◎ウフィツィ(office)
- モジュールとしてデザイン、各部門の対等性を明示
- ウフィツィの間からアルノ川を望むとコジモ一世の肖像を見ることになる
- 集中線の効果
- 反対はヴェッキオ宮への集中
◎ヴァザーリの回廊
- コジモ一世の息子フランチェスコの結婚式のために多くの客人を招く
- 結婚式までにヴェッキオ宮とピッティ宮(メディチ家の私邸)とを結ぶ道、しかも地上に降りない道を作るようヴァザーリに無茶ぶり
- ヴァザーリは(絵画もそうだが)仕事の早さがアピールポイント
- 800mの回廊をわずか5ヶ月で完成
- ヴァザーリ「他の奴なら5年かかるところを5ヶ月で作ったぜエッヘン」
- 他人の塔を迂回した場所もあり(コジモ一世はぶち抜きたかった)
- 回廊は結婚式を行う教会へも繋がっている
小松氏:
書籍資料の解説
◎芸術家列伝
- バージョン違い、1550年版と1568年版
- 1550年版では「ミケランジェロ賞賛」
- 他都市の人から批判「他都市にも芸術家は居る」「フィレンツェばかり重んじるのはおかしい」
- 1568年版で反論、また版画入りにも
- 家系図なども
◎京都関連者
ウフィツィ構造解析結果
- よく分からないので略
- ロッジャを配置、遠近法を強調した構造(遠近法の創始者ブルネレスキへのオマージュ)
- 現在工事は凍結中