子子子子子子(ねこのここねこ)はてブロ部

Macネタが主のIT記事と、興味ある展覧会リストや観覧感想などを書いてますよ。自転車ロードレースも好き。

若冲と枡目描き作品

今日、2/8のGoogle Doodleは伊藤若冲の「鳥獣花木図屏風」(Etsuko and Joe Price Collection所蔵)であった。
http://24.media.tumblr.com/tumblr_lz14kcxE5W1qzjki0o1_400.jpg
Googleのデザイナーは巧みですね。Googleのロゴを上手くあしらい、また枡目もちゃんとデフォルメして配している。さらに斜め上からの視点にすることで屏風であることも直ぐに分かるようにしてある。
オリジナル作品の画像はこちら(右隻)。
http://www.panachemag.com/12_07/TheBuzz/TheCollector/Collector_02.jpg
より引用)
枡目描きという特徴的な技法を使っているこの作品は、若冲の代表作として美術ファン以外の一般人にも認識されていると思われる。
しかし。
「この作品は若冲のものではない」と強く主張する研究者が居る。東京大学の佐藤康宏教授である。
佐藤教授は、卒論で若冲を取り上げたおそらく日本初(本人談)の研究者であり、若冲研究でもすぐれた成果を残している。若冲に関する著作も複数ある。そのうちの入手しやすいものが東京美術「もっと知りたい伊藤若冲」である。昨年改訂版が出された。

一方。
「この作品は若冲作品である」と強く主張する研究者もやはり居る。明治学院大学山下裕二教授である。
この「鳥獣花木図屏風」の拡大図版を掲載した本の著者でもある。

伊藤若冲 鳥獣花木図屏風

伊藤若冲 鳥獣花木図屏風

このお二人は東大の先輩と後輩である。そして両教授とも、奇想の画家の一人として若冲を「再発見」したといえる辻惟雄先生(MIHO Museum館長)の教え子である。

では、各教授の「この屏風絵が若冲作品である/ない」主張点を、各著作を元にして提示していきたい。

佐藤教授のご意見

明治以降の多くの画家同様、若冲も複数の弟子を動員して工房制作を行った。特に晩年の水墨画では、若冲の印がありながら実際には弟子が描いたらしいものを技術的に区別することができる

「白象群獣図」のていねいな彩色と較べると、「樹花鳥獣図屏風」には粗さが目立つ。(略)これらの相違から、前者*1若冲自身が彩色までを行ない、後者*2若冲の下絵をもとに弟子たちが彩色をしたと考えられる。

静岡県立美術館の屏風*3のは、動植物が若冲らしい形を持っているので、下絵だけは若冲が手がけたと思わせるが、類似の技法の「鳥獣花木図屏風」(プライスコレクション)は違う。(略)あの屏風絵は絶対に若冲その人の作ではない。若冲の描く緊張感に富んだ形態はまったくなく、すべてはゆるみきって凡庸である。静岡の屏風の配色が自然らしさに配慮したものであるのに対して、プライス氏の屏風の配色は平板で抽象的な模様を作るだけに終わっている。工房作というにはあまりにも若冲画との落差が大きいので、稚拙な模倣作というべきだろう。

(「もっと知りたい伊藤若冲」<描法細見II若冲若冲工房―枡目書きの技法から>から引用)
正直、かなり叩いてます。このことが、プライス氏にケンカを売っていると勘違いする人も多いようで、以下の事柄もあったようです。

 東京国立博物館で「若冲と江戸絵画」と題するプライス・コレクションの展覧会が開かれた2006年、特別展の物品販売所の担当者は、わざわざ電話をかけてきて、私の著書『もっと知りたい伊藤若冲』(東京美術・2006年)を売場には置かないと宣言した。同書は「鳥獣花木図」を若冲の作ではないと断言しているので、プライス氏の考えとは異なる。買う人が判断に迷うから排除するのだという。実際、若冲関連の本のうちこれだけは売場になかった。
 最近はまた、将来企画されているらしい若冲展の関係者から電話をもらった。私を企画委員に加えるとプライス氏の機嫌を損ねてほかの作品も出品されなくなるのが心配だから、展覧会のスタッフに私を入れない、というのが彼の結論だった。

 ――こうしたすばらしいお心遣いの何分の一でもけっこうですから、若冲その人に向けてもらえないでしょうか。「鳥獣花木図」みたいな不細工な画を若冲の作として扱うのは彼の名誉を傷つける行為だとは考えませんか。どう稚拙なのかは研究室の紀要にでもこっそりと記しておきます。

(「日本美術史不案内―10 真理なんてどうでもいいわけ?」UP 2010年2月号 から引用)

上記の「研究室の紀要」は
CiNii 論文 -  若冲・蕭白とそうでないもの
を指すと思われます、が未見ですのでよく分かりません。

山下教授のご意見

 この本を手にとり、精細な部分図に感嘆して、私の文章をここまで読み進めた方は、ショックを受けられたのではないか。(中略)

 その佐藤さんが、この絵を〈すべてはゆるみきって凡庸である〉とか〈稚拙な模倣作〉などと評する。この本の編集にかかわり、この屏風を何度もガラス越しではなく、それこそ画面に目玉がくっつきそうになるような距離で、熟視した私には、ここで責任をもって佐藤さんの意見に反論する責任がある。
 結論から先に言えば、私は静岡県立美術館の屏風と、プライスさんのこの屏風のクオリティについて、佐藤さんとはまったく逆の見解をもっている。静岡の屏風については、「緊張感に富んだ形態はまったくなく」「すべてはゆるみきって凡庸である」とまでは言わないが、「かなり緊張感が乏しい形態」で、「若冲がつくりだした形態を弛緩させたような凡庸さ」があると思っている。そんな実感は、ごく最近、静岡県立美術館であらためて実見した折に、再確認した。ディテールの「ゆるさ」や、高価な絵具を薄めたケチりかたを見れば、そんなことはすぐわかると思うのだが…佐藤さん、どうでしょう?

(「伊藤若冲 鳥獣花木図屏風」から引用)

それはともかく

見解の相違が生じるのは仕方がないことです。全ての研究者が同意見だったら研究は進みませんし。
それよりも、一番難儀なのは「作品の所蔵者の見解と異なる著作を置けない」と言った展覧会担当者でしょう。また「私を企画委員に加えるとプライス氏の機嫌を損ねてほかの作品も出品されなくなるのが心配だから、展覧会のスタッフに私を入れない」などという情けない考えを持つ担当者もイヤですね。
ちなみに、先日、東博のショップでは「もっと知りたい伊藤若冲」が売られていて、ちょっとだけ安心しました。

*1:白象群獣図

*2:樹花鳥獣図屏風

*3:樹花鳥獣図屏風