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起こし絵図展示リスト「和紙の建築模型 建築起こし絵図―茶室と社寺と即位図と」 @ 大阪くらしの今昔館

はじめに

「和紙の建築模型 建築起こし絵図―茶室と社寺と即位図と」が大阪くらしの今昔館(大阪市立住まいのミュージアム)にて2020/6/3から7/12まで開催されています。重要文化財「大工頭中井家関係資料」に含まれている茶室などの起こし絵図(現物!)が展示されています。
特別展「和紙の建築模型 建築起こし絵図―茶室と社寺と即位図と」|企画展示|大阪市立住まいのミュージアム(大阪くらしの今昔館)
起こし絵図とは何か、上記サイトから引用します。

建築起こし絵図は、平面図の上に立面図や内部の展開図を描いた和紙を張り合わせたもので、ふだんは折り畳んでおき、見るときには壁面を起こして模型のように組み立てました。いわば、和紙の建築模型です。

一般人は平面図を見ても立体物の建物をイメージすることが難しいですが、起こし絵図であれば実際に立体になっているのでとてもイメージしやすいと思います。起こし絵図を作られるのは茶室が主になっています。これは茶室の写しを造るときに、建築に慣れていないクライアントへのプレゼン用として使われたようで。

展示リストが配布されていないのがとても残念

私は展覧会に行くと必ず出品リストを受け取るのですが、今回は作成していないと言われてしまいました。見た感想などを受け取ったリストにいつも書き込んでいるので、無いのはとても残念です。
仕方ないので、起こし絵図のところだけでもと思って自分でリストを作り、それぞれのメモ書き(キャプションの一部など)を書いたのをアップします。

起こし絵図展示リスト

かぎ括弧は展示のままです。起こし絵図を包む紙に書いてあった内容そのままなのだと思われます。

透廊
寝殿造りの廊下
吉田社建地割
大元宮
大徳寺塔頭高林庵囲之建地割 紹鷗好
高林庵片桐石州創建。茶室は興臨院から延宝三年(1675年)移築。床無四畳半。
 妙喜庵待庵
 高台寺時雨亭
 高台寺傘亭
数寄屋建地割 古田織部誓願寺塔頭竹林院ニ有之
「儒安堂」額。三畳台目。
洛陽建仁寺塔頭正傳院ニ有之 織田有楽斎好囲之図
茶室「如庵」。今は犬山市へ移転。二畳台目。
囲建地割 小堀遠州大徳寺塔頭龍光院ニ有之
茶室「密庵」。四畳半台目。
数寄屋建地割 千利休好 北野高林寺有之
高林寺は廃仏毀釈により廃絶。「千利休好」は疑わしい。二畳台目。
相阿弥好 大徳寺塔頭大僊院ニ有之上下石之庭建地割
大仙院石庭の彩色図。1/20縮尺。
数寄屋建地割 細川三斎好 天龍寺塔頭真乗院ニ有之
四畳台目+続きの別棟。
古田織部好 本圀寺方丈ニ有之 囲建地割
書院風茶座敷。本圀寺は堀川六条にあった(現在は山科へ移転)。
北山鹿苑寺ニ在之候 金森宗和好 囲建地割
茶室「夕佳亭」。
佐久間将監好 大徳寺塔頭寸松庵ニ有之 小座敷建地割
十畳+八畳+四畳茶室。寸松庵は天保五年(1834年)正月に焼失。
佐久間将監好 大徳寺塔頭寸松庵ニ有之 亭建地割
待合「濶遠亭」*1。床高の一階建、階段あり。腰掛と雪隠付。
佐久間将監好 大徳寺塔頭寸松庵ニ有之 客殿廻リ建地割
「蜂房蟻穴」額*2
伏見奉行屋舗 小屋敷建地割
伏見奉行=小堀遠州
囲建地割 大仏養源院ニ有之 小堀遠州
三十三間堂の東側にある養源院の書院北側にあった茶室。長四畳台目。
大徳寺塔頭孤篷庵ニ有之 小座敷建地割
直入軒。孤篷庵は寛政五年(1793年)に焼失、その後に松平不昧などにより再建。
小堀遠州大徳寺塔頭孤篷庵 客殿囲建地割
茶室「忘筌席」。手水鉢「露結」も起こし絵になっている。
八幡山瀧本坊 茶立所 座舗共建地割
懸け造りの書院*3の4室のうち下之間、上之間、茶立所(八畳座敷)が起こし絵図になっている。
大徳寺塔頭真珠庵ニ有之 数寄屋建地割
茶室「庭玉軒」。金森宗和好の二畳台目。席の南側に内坪(屋根下の坪庭)あり。写しの「庭玉軒(旧湯本家住宅*4)」の写真パネル展示あり。

その他の起こし絵図

個人蔵の茶室起こし絵図が展示されていました。

その他の展示

「大工頭中井家関係資料」の展示がありました。今までもこの館では中井家の関係資料の展示を行っていましたが、その総集編みたいな展示だったのだろうと思います(過去の展示は残念ながら観てないのです)。大阪城名古屋城修学院離宮などなどの図面が展示されていました。
またこの展示室の1/3ぐらいは、大徳寺玉林院の茶室「蓑庵さあん」の実物大模型(竹中大工道具館蔵)を借りてきて組み直したのがデデーンと展示されていました。なお蓑庵は四代鴻池善右衛門が寛保二年(1742年)に寄進した茶室で、三畳中板入り、中板に中柱が配されるものでした。

*1:濶遠亭は他の建物から離れていたため焼失せずに残存。その後に新宿植物御苑へ、さらに高橋帚庵邸へ移築。大正十二年)(1923年)に焼失(関東大震災?)。以上聴秋閣試論|湘南工科大学紀要 第52巻 第1号記載より引用。

*2:現在MIHO MUSEUM所蔵。扁額「蜂房蟻穴」 - MIHO MUSEUM

*3:「書院も懸け造りで、全体的にも独創的なつくりだったようです。」 石清水八幡宮境内の発掘調査成果(護国寺・大塔・瀧本坊)|八幡市役所

*4:参考:京の夏の旅2019 -旧湯本家住宅- : MEMORY OF KYOTOLIFE