子子子子子子(ねこのここねこ)はてブロ部

Macネタが主のIT記事と、興味ある展覧会リストや観覧感想などを書いてますよ。自転車ロードレースも好き。

仁和寺「三十帖冊子」、元所蔵の東寺から携帯逃亡さる(オチなし

今日「京の国宝」展へ(何度目か分かりませんが)京博まで観に行きました。今週一週間だけ展示の3作品のためです。今週を終えると京博はしばらく休館して10/9から「畠山記念館の名品展」です。今日から前売り開始です。なので平常展は来年までありません。寂しい…。



きっかけツイート

先日「京の国宝」で検索していたときに、このようなツイートを見掛けました。

出品一覧に載っている「12:京都府古社寺什宝調査録」は後期のみの出品でした。見開き展示の左ページに「名稱 聖教三十冊及筥」とあり「あ、仁和寺の三十帖冊子のことだな」と思って内容を読まずにザッと通り過ぎていました。
でも内容が面白いと書いてあればやはり気になります。ということで今回改めて読み直したところ、かなり面白かったので書き写しましたw 話は途中までしか書かれていないので続きが気になりますが、いずれ調べてみたいと思います。

翻刻

改行位置も記録したのでそのまま記します。

名稱
聖教三十冊及筥
所有者所有地
京都府葛野郡花園村大字御室 仁和寺
作者傳来
寺傳云弘法大師入唐將来品ナリシ又云此聖教丗冊其先ハ教王護
國寺の什寶ナリシカ髙野山金剛峰寺ハ大師終焉ノ地ニシテ大師將
来品手澤品*1等モ多クアレハ此聖教モ亦同寺ニ傳クヘキモノナリ
ト其譲與ヲ教王護國寺ニ迫リシモ教王護國寺ニテハ由緒ヲ述ヘ
其請ヒヲ容レサリシニ髙野山ノ某僧深ク之ヲ恨ミ教王護國寺ヲ欺
キテ借リ出シ携帯逃亡シタレハ教王護國寺ニテハ大ニ驚キ官ニ訴
ヘテ其裁断ヲ仰シニ官ニ於テハ金剛峯寺ニ對テ速ニ返戾スヘキ
*2ヲ令シ一方ニハ逃亡セシ髙野山ノ僧ノ所在ヲ穿鑿*3セシメラレシ河内

感想など

それにしても高野山の僧の論理が強引ですね。「ウチは弘法大師の終焉の地、大師由来の品も多くあるのだ。この三十帖冊子も高野山にあるべきだ!ウチに譲れ!」そりゃ東寺も嫌がりますよw しかもそのあとそれを逆恨みして「東寺を欺して借り出し、携帯して逃亡」…。
ページ終わりが「河内」になってますけど、このあと河内で何があったんでしょうね…知りたいですw

なお「京の国宝」展の図録の「23:三十帖冊子」の解説には以下のようにあります。

伝来は、附属文書である左弁官下文の写し、ならびに「三十帖策子々細」、行遍僧正の消息などに詳しい。これらによると、空海入定の際に高弟の実恵、真雅の両人に託して東寺経蔵に納めさせたが、高野山第二世座主真然が貞観十八年(876)に高野山へ持ち帰り、東寺からの再三の返却催促にも応じなかった。その後、諸処に分散して散逸したが、右大臣藤原忠平はこれを惜しみ、勅命により大僧都観賢に収集させ、その大部分をまとめることができて、延喜十九年(919)十一月、東寺の経蔵に安置して長者に守護させることとした。その後、文治二年(1186)仁和寺守覚法親王(1150〜1202)が東寺より借用して、それ以降仁和寺に伝来している。

高野山の僧(しかも座主の指示!)が借りパクした上に散逸させ、その後は仁和寺のエラい人が箱ごと借りパクしてそのまま現代まで…。昔の人は何かと乱暴ですね。

また三十帖冊子を納める箱である「24:宝相華迦陵頻伽蒔絵冊子箱」の解説には

東宝記」には文治二年(1186)に仁和寺守覚法親王(1150〜1202)に貸し出されたまま返納されないともあり

と書いてあります。もしや「京の国宝」展の別室に「55:東宝記」が展示してあったのはこのこともあったのかしら(ちゃんと読んでない…)。

いろいろと面白かったです。ハイ。

*1:手沢:手あかで出たつや。転じて、身近に置いて愛用した物。(大辞林第四版)

*2:「旨」の俗字

*3:せんさく:細かい点までうるさく尋ねて知ろうとすること。/細かいところまで十分調べること。(大辞林第四版)

起こし絵図展示リスト「和紙の建築模型 建築起こし絵図―茶室と社寺と即位図と」 @ 大阪くらしの今昔館

はじめに

「和紙の建築模型 建築起こし絵図―茶室と社寺と即位図と」が大阪くらしの今昔館(大阪市立住まいのミュージアム)にて2020/6/3から7/12まで開催されています。重要文化財「大工頭中井家関係資料」に含まれている茶室などの起こし絵図(現物!)が展示されています。
特別展「和紙の建築模型 建築起こし絵図―茶室と社寺と即位図と」|企画展示|大阪市立住まいのミュージアム(大阪くらしの今昔館)
起こし絵図とは何か、上記サイトから引用します。

建築起こし絵図は、平面図の上に立面図や内部の展開図を描いた和紙を張り合わせたもので、ふだんは折り畳んでおき、見るときには壁面を起こして模型のように組み立てました。いわば、和紙の建築模型です。

一般人は平面図を見ても立体物の建物をイメージすることが難しいですが、起こし絵図であれば実際に立体になっているのでとてもイメージしやすいと思います。起こし絵図を作られるのは茶室が主になっています。これは茶室の写しを造るときに、建築に慣れていないクライアントへのプレゼン用として使われたようで。

展示リストが配布されていないのがとても残念

私は展覧会に行くと必ず出品リストを受け取るのですが、今回は作成していないと言われてしまいました。見た感想などを受け取ったリストにいつも書き込んでいるので、無いのはとても残念です。
仕方ないので、起こし絵図のところだけでもと思って自分でリストを作り、それぞれのメモ書き(キャプションの一部など)を書いたのをアップします。

起こし絵図展示リスト

かぎ括弧は展示のままです。起こし絵図を包む紙に書いてあった内容そのままなのだと思われます。

透廊
寝殿造りの廊下
吉田社建地割
大元宮
大徳寺塔頭高林庵囲之建地割 紹鷗好
高林庵片桐石州創建。茶室は興臨院から延宝三年(1675年)移築。床無四畳半。
 妙喜庵待庵
 高台寺時雨亭
 高台寺傘亭
数寄屋建地割 古田織部誓願寺塔頭竹林院ニ有之
「儒安堂」額。三畳台目。
洛陽建仁寺塔頭正傳院ニ有之 織田有楽斎好囲之図
茶室「如庵」。今は犬山市へ移転。二畳台目。
囲建地割 小堀遠州大徳寺塔頭龍光院ニ有之
茶室「密庵」。四畳半台目。
数寄屋建地割 千利休好 北野高林寺有之
高林寺は廃仏毀釈により廃絶。「千利休好」は疑わしい。二畳台目。
相阿弥好 大徳寺塔頭大僊院ニ有之上下石之庭建地割
大仙院石庭の彩色図。1/20縮尺。
数寄屋建地割 細川三斎好 天龍寺塔頭真乗院ニ有之
四畳台目+続きの別棟。
古田織部好 本圀寺方丈ニ有之 囲建地割
書院風茶座敷。本圀寺は堀川六条にあった(現在は山科へ移転)。
北山鹿苑寺ニ在之候 金森宗和好 囲建地割
茶室「夕佳亭」。
佐久間将監好 大徳寺塔頭寸松庵ニ有之 小座敷建地割
十畳+八畳+四畳茶室。寸松庵は天保五年(1834年)正月に焼失。
佐久間将監好 大徳寺塔頭寸松庵ニ有之 亭建地割
待合「濶遠亭」*1。床高の一階建、階段あり。腰掛と雪隠付。
佐久間将監好 大徳寺塔頭寸松庵ニ有之 客殿廻リ建地割
「蜂房蟻穴」額*2
伏見奉行屋舗 小屋敷建地割
伏見奉行=小堀遠州
囲建地割 大仏養源院ニ有之 小堀遠州
三十三間堂の東側にある養源院の書院北側にあった茶室。長四畳台目。
大徳寺塔頭孤篷庵ニ有之 小座敷建地割
直入軒。孤篷庵は寛政五年(1793年)に焼失、その後に松平不昧などにより再建。
小堀遠州大徳寺塔頭孤篷庵 客殿囲建地割
茶室「忘筌席」。手水鉢「露結」も起こし絵になっている。
八幡山瀧本坊 茶立所 座舗共建地割
懸け造りの書院*3の4室のうち下之間、上之間、茶立所(八畳座敷)が起こし絵図になっている。
大徳寺塔頭真珠庵ニ有之 数寄屋建地割
茶室「庭玉軒」。金森宗和好の二畳台目。席の南側に内坪(屋根下の坪庭)あり。写しの「庭玉軒(旧湯本家住宅*4)」の写真パネル展示あり。

その他の起こし絵図

個人蔵の茶室起こし絵図が展示されていました。

その他の展示

「大工頭中井家関係資料」の展示がありました。今までもこの館では中井家の関係資料の展示を行っていましたが、その総集編みたいな展示だったのだろうと思います(過去の展示は残念ながら観てないのです)。大阪城名古屋城修学院離宮などなどの図面が展示されていました。
またこの展示室の1/3ぐらいは、大徳寺玉林院の茶室「蓑庵さあん」の実物大模型(竹中大工道具館蔵)を借りてきて組み直したのがデデーンと展示されていました。なお蓑庵は四代鴻池善右衛門が寛保二年(1742年)に寄進した茶室で、三畳中板入り、中板に中柱が配されるものでした。

*1:濶遠亭は他の建物から離れていたため焼失せずに残存。その後に新宿植物御苑へ、さらに高橋帚庵邸へ移築。大正十二年)(1923年)に焼失(関東大震災?)。以上聴秋閣試論|湘南工科大学紀要 第52巻 第1号記載より引用。

*2:現在MIHO MUSEUM所蔵。扁額「蜂房蟻穴」 - MIHO MUSEUM

*3:「書院も懸け造りで、全体的にも独創的なつくりだったようです。」 石清水八幡宮境内の発掘調査成果(護国寺・大塔・瀧本坊)|八幡市役所

*4:参考:京の夏の旅2019 -旧湯本家住宅- : MEMORY OF KYOTOLIFE

京博平常展示一階染織部屋「玉川文様単衣」説明文

京博の名品ギャラリー(いわゆる所蔵品展)の「染めと織りの文様 ―古典文学をまとう―(2020/1/2-2/2)」にて、六玉川(むたまがわ)を題材とした着物が展示されていたのですが、説明文(キャプション)がとても詳しく記載されていたので引用します。

玉川文様単衣(紫ジョーゼット地 繡)明治時代 19世紀


玉川と名づけられている川は各地にあるが、中でも歌枕として知られる六玉川(井手・三島・高野・調布・野田・野路)が名高い。この一領には肩に野路(月)野田(千鳥)井手(山吹)、裾に三島(卯の花)と、和歌の中の景色と共に四つの玉川があらわされている。

観覧の感想

京博のデータベースに載っていたこの着物の写真は残念ながら白黒しかありませんでした。全体的に桜と松が流水文様と共に配されており、説明文のように肩部分に左手から八重の山吹、千鳥、月が現されています。帯を巻く胴部分は柄が外されており、裾へ下がるにつれて松や桜の柄がやはり置かれています。裾には卯の花が刺繍されています。薄手の生地に美しい刺繍がされていて、とても見応えがありました。

最後に

こーいう記事は展示がある間に書いておかんとアカンよねえ…。

大徳寺龍光院 国宝 曜変天目と破草鞋




大徳寺龍光院 国宝 曜変天目と破草鞋(はそうあい) – MIHO MUSEUM


本展二回目の訪問。
枝垂れ桜満開×日曜日×曜変天目人気×講演会実施日、の掛け合わせで大混雑!あの山奥にこれほど人が来るとは!展覧会場に入るため館内で1時間並ぶとは思ってなかったです…。

日本画家・福田眉仙とその周辺 @ 西宮市大谷記念美術館




受贈記念 日本画家・福田眉仙とその周辺|西宮市大谷記念美術館

実質的に、西宮市大谷記念美術館の日本画系の所蔵品展でした。
福田眉仙はまあまあ。これはスゴイ、という印象までは受けなかったです。でも観に行って損しなかった。なお福田眉仙の出品図録代わりのリーフレットが500円で販売されていました。
列品の所蔵品には良いものが散見されました(追記予定)。

今日の庭は蝋梅メイン

どの季節に来てもこの庭はイイですね。いまは蝋梅の良い香りで満たされていました。通りがかりの庭師さん曰く「今年は花付きが悪い」。昨秋の台風が全ての元凶ですね、仕方ないです。

驚異の超絶技巧!明治工芸から現代アートへ @ あべのハルカス美術館




驚異の超絶技巧!明治工芸から現代アートへ | あべのハルカス美術館




展覧会:「驚異の超絶技巧! 明治工芸から現代アートへ」 大阪・あべのハルカス美術館で、あす開幕 - 毎日新聞

会期は1/26からなので混み合うよりも前の早めに行ったつもりだったが、それでも混み合ってました。国立博物館などでの大規模展ほどは並びませんけど。まあ細かい小品ばかりなので仕方ないですよね。
様々な超絶技巧の作品が展示されていたけど、結局のところ、普段身近でみかけるものを思いもよらない素材でつくってある、というものに惹かれますね。ということでやはり安藤緑山イチオシ。現代作家では前原冬樹・臼井良平など。春田幸彦は「普段見かける」からは少し飛びだしたものだったけど、どう見ても革素材なものをやきもので作っているのがすごい。
なお、あべのハルカス美術館の展示空間で外が見える状況だったのは初めてなので少し驚いた。その外光に照らされて臼井良平のガラス作品を見るのはかなり良かったです。

堺に生まれた女性日本画家 島成園 @ さかい利晶の杜

島成園展



「堺に生まれた女性日本画家 島成園」を開催いたします | さかい利晶の杜

島成園は堺出身で大阪市内育ち、その後は上村松園、池田蕉園*1とともに「三都三園」と呼ばれた、大正時代の人気「閨秀画家」です。よく知られているようにその後は松園のみが日本画界の重鎮として残り、残り二人は忘れられた女性画家になりました。
ですが成園の描き方はあるときかなりクセのある画風に変化しました、そしてその直後に結婚して表舞台から下がったために消え去りましたが、そのクセある画風は長く後まで遺るものだったわけで、おかげで今でも展覧会が開催される画家として生き残っているのだと思います。

さかい利晶の杜

今回初めて訪れました。堺市立病院跡だそうで、しかも東隣が千利休屋敷跡です。近くには与謝野晶子である駿河屋跡(道の拡幅で石碑のみ残る)もあります。
展示内容は堺市博物館と重複するところもありますが、堺の中心地における歴史を語るためにはその場所に近い方が好ましいので、この場所に施設があるのはとても適切であると思いました。

与謝野晶子記念館

建物の二階の半分が与謝野晶子記念館、残りが島成園展が行われた特別展示室になっています。

千利休茶の湯

建物の一階が千利休茶の湯館になっています。シアター部分があり、現在は15代目の楽吉左衛門が利休と堺について語る映像が流されていました。

黄金の茶室

一階廊下部分の突き当たりに、京都市から借りた「黄金の茶室」が置いてありました。


企画展「黄金の茶室がやってきた」を開催いたします | さかい利晶の杜

実は翌日からの企画展示だったようで、館の担当者が報道関係者へいろいろ語っておられましたが、黄金の茶室自体は(おそらく企画展示の状況と同様に)自由に見ることが出来ました。

喫茶

立礼の茶室があります。当日の担当は裏千家でした。
男女お二人の担当者のうち女性がお茶を点て、男性が話題を提供する、というような場を作っておられました。一人で行ったので話しかけてくれていたのだと思います。


茶の湯体験施設 | さかい利晶の杜

お菓子の銘は「やぶ椿」でした。乾いて居らず、おいしく頂きました。


立礼茶席のお菓子のご紹介 | さかい利晶の杜

天神餅さんのお店へは行きませんでした。でも近いから行けば良かったなあ。


大阪堺の 御菓子司 「天神餅」

立礼茶席で使っておられたお抹茶のお店である松倉茶舗さんへは行きました。薄茶がホントおいしかったです。

*1:松園も蕉園も読みはどちらも「しょうえん」です。