子子子子子子(ねこのここねこ)はてブロ部

Macネタが主のIT記事と、興味ある展覧会リストや観覧感想などを書いてますよ。自転車ロードレースも好き。

佐伯祐三展@大阪市立美術館

http://osaka-art.info-museum.net/special020/saeki/spe_saeki.html

大阪出身の画家である佐伯祐三。中津生まれだそうだ。
実をいうと、佐伯の絵をまじめに観に行ったのは初めて。
彼の絵は乱雑に描かれた建物と、そこに書かれたクセのある縦長文字という否定的印象のほうが先にあったので、さほど興味を持って展覧会へ行ったわけではなかった。
正直なところ、大阪市立近代美術館コレクション、その誕生と成長─モディリアーニ、ローランサンから今井俊満、バスキアまで─ - 子子子子子子(ねこのここねこ)のほうが興味が強かったのでついでに観に行った、のだった。
しかし、予想を遙かに上回る面白さだった。
フランスへ行くまでの彼は、やはり上手い画家だ。
しかし、パリでヴラマンクに罵倒された後の絵は、とてつもない不安と、勢いを持って、私の心へ突っ込んでくる。観ていて、心臓が不安でドキドキする。しかし嫌なストレスではない。何かを探そうと、強く描かれているからではないか。
一度日本への帰国を余儀なくされたが、日本で描かれた絵は、なんだかつまらない。当然ながらフランスとの違いが出てきてしまう。
そして再びフランスへ「帰国」した後の絵は、伸びやかにその価値をさらにさらに高めていくような、ある種の爽やかさを含んで、しかし重々しく、しかし軽やかに、様々な要素を含んで描かれている。彼にはパリの、大きな壁と、陰鬱な冬空と、雑多な気配が必要だったのだ。観ていて気持ちよく、楽しくなることもしばしば。
しかし、彼に遺された時間はほんのわずかだった。パリに戻った後に描けたのは1年に満たない。その間にも彼の作画技能はますます高まっていった。鉛筆で絵の具を引っ掻くことにより煉瓦や石畳の質感を出すことで、より印象深く建物の雰囲気を生み出した。
今回特に興味を持ったのがモランの寺院の連作だ。描けなくなる一月ほど前の旅行で、連作を描いたのだ。同じ寺院を描いた5つほどの作品が並べられていたのだが、どれも雰囲気が違う。どの作品にも実験を行っているかのように。立体的、平面的、単色的、階調的…。でも、どの作品も間違いなく佐伯の特徴が出ている。これらの連作を観て、より高いところにこの人は登っていけるな、という明るさを感じた。だが、彼自身は暗中模索の状態だったようだ。常に苦しんでいたらしい。
郵便配達夫を描いた2作品が並べられていた。体調を崩して屋外での制作が苦しくなったときに訪れた郵便配達の方にモデルを依頼したとのこと。上半身を描いた作品は、人物像として描かれている。人としての温かさがある。モデル側の不安、疑問、戸惑いも、その絵から受け取れる。もう一方の全身像は、このほうがよく取り上げられていると思うのだが、彫刻作品を描いているような固さがある。モデルを人として描いていない。後者が佐伯の描き方、本来の描き方なのだろう。
パリに戻ったことで彼の人生は良い方へと向かったと思うのだが、しかし修行僧のように芸術の高みを追求しようとするあまりに、身体と精神は彼に時間を遺さなかったのだろう。ある点では彼は幸せな人生を送れたのだと思うが、ある点では、そこまで苦しまなくても良いのではないか、もう少しゆっくり歩いても良かったのじゃないか、そして次の段階を我々に見せてくれても良かったのじゃないか、と少し甘いことを思ってしまったりした。

勢いに任せて書いたので、的外れなことを書いていたり、何いってるかよく分からないかもしれない。申し訳ない。

なお、大阪市立美術館での展覧は今月19日まで。その後の回覧予定は以下の通り。

高松市美術館 '08/10/24-12/7
北海道立近代美術館 '09/4/27-6/14
新潟県立万代島美術館 '09/7/4-8/30



追記:横浜のそごう美術館でもこの春に佐伯祐三展があったようだが、出品作品が少し違うしタイトルも少し違うので、別の展覧会の扱いだと思われる。